やすのり. News
【板橋区】江戸時代に置かれた志村一里塚。石柱が設置される
小池都知事、坂本板橋区長による除幕式
4/26の11時から小池都知事の参加のもと、志村一里塚石柱除幕式が執り行われました。一里塚の石柱の文字は小池都知事が揮毫(きごう)してくれたものです。
歴史を遡れば、徳川家康が天下を制すると街道の整備に取り掛かり、そして約4kmである一里ごとに、街道の両側に塚を築き、標としたそうです。
さて、今回石柱が設置された志村一里塚。昔の姿をそのまま残し、しかも2つの塚がついになって残っています。都内ではとても貴重なものであり、その価値を広く伝えていきたいと願っております。
志村一里塚については、「まち博ガイドブック」に詳しくあります。
下記に、引用したいと思います。
<志村一里塚>
志村の一里塚は日本橋を起点として、森川宿(現東大農学部前)、平尾(現JR板橋駅付近)に次いで、3番目のものです。塚は昔の姿を残し位置もそのままですが、昭和初期に崩れないように石垣で補強してあります。大正11年に国の史跡として指定されています。
徳川家康が慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いに勝って天下を制すると直ちに江戸を中心とする道路の整備にとりかかりました。
五街道の1つの中山道69次も慶長7年には定まられました。当時地域によりまちまちであった里程を一里36丁(約4km)に統一して、一里毎に街道の両側に塚を築き里程標としました。塚の大きさは五間(約9m)、高さ一丈(約3m)を標準とし、塚の上には榎などの木が植えらえました。これらの工事は慶長17年に完成したといわれています。その後、江戸中期頃には大半のものが原形を失い、明治以降は取り壊されるものが続出しました。現在都内で残っているのは、ここ志村と北区西ヶ原の2か所だけです。(まち博ガイドブックより)
<関連記事>
【板橋区赤塚史跡】景観まちづくりのまち歩きで「赤塚乳房大神」を愉しむ
https://www.tanaka-yasunori.jp/new/20231102news.html
【板橋区成増史跡】成増の新田坂にある八坂神社が移転してから節目の90年となる
https://www.tanaka-yasunori.jp/new/20230327news.html
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
Think globally Act locally
〜小さなことの積み重ねが必ず大きな成果に繋がる
板橋区議会議員 田中やすのり
https://www.tanaka-yasunori.jp/index.html
─────────────────
【子育て中のママパパへ】
「あなたの子育てを応援します!」
https://www.youtube.com/watch?v=ePeN_wTQ7XI&t=20s
─────────────────
【メッセージ動画】
「私は、走り続けます!」
https://www.youtube.com/watch?v=hdBzWEjM7Ps
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=