何故、区議会議員に?

Why? 

今までの経歴は?

板橋生まれ育ち!
早稲田大学卒業後、大手広告会社勤務。
独立して広告・マーケティング会社を起業。

━━━こんにちは。さて早速ですが、田中さんの今までの職歴をお知らせください。

  • はじめまして。田中やすのりです。私は大学卒業後、広告会社に勤務し企業のマーケティング戦略やコミュニケーション戦略の立案を行う企画部門にて仕事をしてきました。その後、マーケティングプランナーとして独立し、悪戦苦闘の日々を過ごしてきたわけです。

━━━広告会社ではどのようなことをなさっていたのですか。

  • 主に飲料メーカーや食品メーカーの方と一緒に、商品のターゲットやポジショニングを決めて、具体的なテレビCFや販促キャンペーンを企画し、実際の制作や運営をしてきました。プレゼン前は結構徹夜になったりして、ハードな仕事でした。テレビドラマのようなカッコいい世界ではありませんよ。。。
田中やすのり板橋区議会議員_ホワイトバンドCP

ブームにもなったホワイトバンド・キャンペーン。手軽に貧困を考えるきっかけを作った点はとても評価できる。

━━━なるほど、イメージと現実とは違うみたいですね。私の仕事のコンサルタントもそうかもしれませんね。

  • 本当に現実とイメージにはギャップがありますね。実際の仕事でも自分の理想と現実との間には、かなりの溝があってモヤモヤした気持ちも抱えながらも毎日走らざるを得ない。とにかくプレゼンまでみんなで一気に走りぬける・・・みたいな感じでした。

━━━確かに日々の業務を目の前にするとやらざるを得ないことですよね。政治の道を志すとのことですが、仕事を通じて感じたことがなにやる影響していそうですね。

  • そうですね。私は広告会社での仕事で、社会貢献的でインパクトのある公共的な仕事に興味を抱くようになっていきました。例えば、公共広告というジャンルがあって、エイズ撲滅やゴミゼロなどの広告キャンペーンといった素敵な仕事です。昨年話題になった世界の貧困問題を取り上げた「ほっとけないキャンペーン」などもこのジャンルに入ると思います。ホワイトバンドのキャンペーンです。私もホワイトバンドをしてました。こうした気持ちの変化は、商業的で営利を目的とするマーケティング活動や広告企画に疲弊してしまった反動かもしれませんね。広告が営利目的で作られるのは当然ですし。ただ、営利活動だけに加担するのは、ちょっと疲れてしまったし、世のため人のために仕事ができないかなぁとずっと模索をしてきたわけです。

ほっとけないキャンペーンとは?
2005年1月に、「グローバルな貧困根絶キャンペーン(Global Call to Action Against Poverty ― G-CAP)」という各国の政府に貧困対策を求める運動が2005年、イギリス、アイルランドで始まり、各国に展開して来た。同年の主要国首脳会議(サミット)や国連総会などの前に、白いリストバンドを付けて「貧困を世界の優先課題に」と訴える意思表示をした。
日本では、「特定非営利活動法人ほっとけない 世界のまずしさ」が中心となって、NGOのメンバーによって組織された『「ほっとけない 世界のまずしさキャンペーン」実行委員会』が中心となり、運動のシンボルであると委員会が定義づけたゴムのリストバンドの販売などを行なっている。中田英寿らスポーツ選手、乙武洋匡などのマネージメント会社が、日本の活動への協力を行った。~ウィキペディアから引用~

なぜ政治に関心が?

世の中のためになる公共的な広告コミュニケーションへの欲求を抱くようになる。
そして、より直接的に世の中を変えることができる政治に強い関心を抱くように。。。

━━━なるほどね。それにしてもいきなり政治を目指すなんて、チャレンジャーですね。

  • 板橋区議会議員田中やすのり_MJS

    マスコミや広告業界に興味を持つ学生が多く集まったMJSの無料ガイダンス

    いえいえ。いきなりでもないのですよ。実は今年で4年目になる「マスコミジャーナリストセミナー」(略してMJS)というボランティア的な活動を通して、多少なりともこうした思考を後輩たちに伝えてきたつもりなのです。MJSとはマスコミや広告業界に進みたい学生を対象に、セミナーや就職活動支援を行っています。素晴らしいジャーナリズム精神をもったマスコミ人、公共的な温かいマインドをもった広告マンが一人でも増えるようとの思いから、友人たちと運営してきました。この活動から私自身も触発されてしまって、この度政治を志すことになったのです。
  • 板橋区議会議員田中やすのり_MJS2
    実際の講義風景。放送局、新聞社、広告会社などから多くの先輩講師が駆けつける。今年で4年目に突入

━━━田中さん自身がどんなことに触発されたのですか。

  • 例えば、ある新聞記者の方の話ですが、その方は「小学生の通学路となっている歩道のすぐ真横にダンプカーが行き来するとても危険な場面」を記事にしたそうです。すると、そこには信号が程なくしてできた。このようにジャーナリズムは弱い立場にあるものや困っている人々を社会に広く伝えて、助けていくことができると私は理解しています。また、昨今の飲酒運転を強く咎める報道が、社会全体に飲酒運転は絶対に許さないといったような風潮を生むことができる。このように、同時にマスコミや広告といったマスメディアを扱う仕事には、社会を変えていくだけのパワーと可能性があり、とても誇りを持っています。しかし、私は広告やマスメディアといった少し離れた立場から間接的に社会公共的なことをしていくよりは、直接に「信号を作れる」ような公共的な仕事を行っていきたい。これが今の率直な気持ちですね。

━━━そのMJSというセミナーに私も学生時代にいってみたかったです。そういうのに参加してる学生さんはラッキーですね。

  • 今年もやりますので、参加しますか(笑)私は広告についてのセミナー講師を務めてますので。。※現在は講師は引退しております。
  • 板橋区議会議員田中やすのり_飲酒撲滅へ

    最近の飲酒運転を報道する新聞記事。マスメディアが報道することが社会全体での抑止効果が働いた好例。

板橋区でやりたいことは?

これからの板橋を支えていく「人づくり」!
地域ぐるみで、地元の人が一丸となって子供を育て上げる“共育”の街・いたばしを創る。

━━━さて話を戻しますが、田中さんが板橋区で実現したいことはどのようなことでしょうか?

  • 私は小中高と成増ですくすくと育ち、大学時代は新河岸のテニスコートでたくましく成長できました。板橋で育ってよかったと思っています。そして、地元の友人や先輩、親にも心から感謝しています。しかし、今の小学校や中学校について、子供をもつ同級生に話を聞いてみるとずいぶん状況は変わっているようですね。私はこうした現在の教育現場が疲弊しきった現実を非常に残念に感じるのと同時に、子供たちに「希望格差」が生じてしまっていることに強い憤りを感じます。なぜなら、私は学校で友人と遊び、やりたいことに集中できる環境があったからこそ希望を持ち成長できたわけですから。ひとつは自分が育ったこの街への恩返しとして、次世代を担う子供たちに板橋を良い状態でプレゼントしていきたいと思います。つまり、板橋の「教育」環境の向上に取り組んでいきたいと思っています。具体的には、地域のリタイヤした人や民間予備校・私塾と連携しながら、「土日の寺子屋授業」を必須の課外授業にしていきます。また、義務教育の子供の医療費を区が負担したり、私鉄の駅に働く女性の子育てをサポートする複合サービスを提供するなどしていきたい。実現したいことは他にもたくさんあります。具体的には「Itabashi My Policy2007」をご覧ください。
  • LinkIcontokyoitabashimypolicy2007.pdf

━━━最後にちょっと突っ込んだ質問になりますが、田中さんの政策の特長はありますか?他の方との違いはありますでしょうか?

  • はい。私は民間企業においての実務経験があります。幸いにも広告会社にはクライアント企業の意思決定をお持ちの幹部社員と仕事をする機会がたくさんありました。仕事を通じて養ってきたビジネス的な感覚や考え方、実施能力を存分に区政や政策に活かしていきたいと思います。私は民間企業の活力をうまく取り込み、活用していくべきだと考えますので、「民間企業と行政の協働タイアップ」を政策立案のテーマにしていきたい。この点が私の特長といえると考えています。

━━━本日はありがとうございました。期待しておりますので頑張ってください。

  • こちらこそありがとうございました。みなさんのご期待に応えられるように頑張るしかないですね。
  • 板橋区議会議員田中やすのり_共育施策

    共育の街・板橋を創るための具体的的な政策。安心して子供を産めて、しっかりと子育てを地域ぐるみでサポートしていく政策