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【板橋区議会・自民党】震度7が襲った志賀町に赴く、これからの復興を願う
今年もあと残し少しとなってきましたが、能登半島地震の発生からもうあと少しで2年となります。板橋区は石川県の金沢市と強い友好関係にあり、市議会議長さまから今の能登の現状を見つめてほしいとお話をいただきました。そこで板橋区議会の自民党会派の有志で、震度7を記録した志賀町に赴きました。
町役場に到着すると、30~40cmも地盤沈下した町役場がそのままになっており、地震の被害の大きさを目の当たりにしました。幸いにも町役場の躯体自体は丈夫で、被災直後からさまざまに機能したとのことでした。
今回の視察では、志賀町の職員からこの未曽有の災害における対応を詳細に記録した令和6年能登半島地震対応検証報告をベースにお話を伺いました。またその後に仮設避難所や震災廃棄物の集積所の現場を訪れ、復興がまだまだ途中なのだと実感をしてきました。
それでは視察の内容を下記に概要をお伝えしたいと思います。
甚大な被害と初期対応の現実
令和6年1月1日16時10分頃に発生した能登半島地震は、マグニチュード7.6を記録いたしました。志賀町は震度7の激しい揺れに見舞われ、19人(うち災害関連死17人)もの尊い命が失われました。住家被害は6,057棟に上るなど、町は甚大な被害を受けました。
特にライフラインへの影響は深刻でした。上下水道は壊滅的な被害を受け、町内全域の8,800世帯が断水に見舞われました。全ての断水が解消されるまでに、2か月もの期間を要しました。
発災直後の初動対応では、次のような課題が明らかになりました。
避難所の運営について
ピーク時には指定避難所に約3,300人が、自主避難所などを含めると約10,000人もの方々が避難されました。しかし、トイレ(特に洋式)の不足、衛生管理の困難さ、避難者名簿の管理が徹底できなかったこと、そして集団生活に馴染めない避難者への対応など、多くの課題がありました。
受援支援の困難について
発災当初、応援職員(対口支援職員)を受け入れるための計画(受援計画)への理解が不十分でした。愛知県などの総括支援に頼りすぎる状況が生じてしまいました。また、多数の支援者に対応するための待機場所、駐車場、車両、机やイスなどの備品が大幅に不足していました。
物資配送の混乱について
物資配送業務では、携わった職員全員が経験のない状態で対応せざるを得ませんでした。業務の体系化や在庫管理ができておらず、初動期には配送の遅延や苦情が発生してしまいました。
復興への羅針盤:「創造的復興」を目指して
志賀町は、震災からの単なる復旧にとどまらず、将来にわたる持続的発展を実現させるための「創造的復興」を目指しています。令和6年7月31日に、復興に向けた基本的な方針として復興計画を決定いたしました。
この計画では、次の三つの基本理念を掲げています。
〇人が帰る(町民に帰ってきていただく)
〇元に返る(正常な暮らしと生業を取り戻す)
〇町を変える(新しい町を創造する)
計画期間は令和6年度から令和10年度までの5年間とされ、「復旧期」(R6~R7)と「復興期」(R6~R10)に区分されています。復興の将来像は「創造的復興へ『暮らし・生業・社会基盤の再建』~ふるさと再起動・シン志賀町へ~」と定められました。
復興の推進にあたっては、「創造的復興リーディングプロジェクト」(全87プロジェクト)として、複合型の避難拠点施設と防災公園の整備、災害に強い住宅地の整備、オフグリッド型のインフラ施設整備の促進など、具体的な施策が進められています。
検証報告書から得られた教訓
検証報告書では、各担当業務の課題と改善策が具体的に示されています。特に行政運営に関する重要な教訓が多く含まれていますので、ご紹介いたします。
1.情報伝達と職員体制
☆迅速な決断の必要性
管理職が一刻を争う時に決断に時間を要しすぎたと感じられており、迅速かつ適切な判断が求められます。
情報伝達手段の多重化
高齢者などスマートフォンを保有されていない方々への情報周知が課題となりました。LINEだけでなく、データ放送や紙媒体など多様な手段での情報発信を徹底する必要があります。
☆職員の負担軽減
特定の課や職員に業務が偏り、身体的・精神的な負担が増大してしまいました。災害対応マニュアルを見直し、部局を超えた連携体制で役割分担を明確にし、全庁的・弾力的な人員再配置を行う必要があります。
2.業務効率化と専門性
☆罹災証明業務の簡素化
罹災証明書の発行は、あらゆる支援制度の必須書類となります。そのため、迅速な発行が最も重要です。住民の利便性を優先するよりも効率を重視し、内閣府の様式を参考にシンプル化すべきとの提言がなされています。
☆ワンストップ窓口の強化
各種支援制度(罹災証明、義援金、住宅支援など)の受付を一括で行うワンストップ窓口は、制度が複雑なため、長期的な窓口開設に備える必要があります。町の事情に精通した人材派遣会社等への早期委託が効率的であると指摘されています。また、窓口業務に精通した専用職員の配置(最低でも5人必要との見解)と、支援制度の変更情報の迅速な共有が求められています。
☆技術系職員の確保
漁港、農地、農業施設、林道などの災害復旧業務では、専門知識を持つ現場技術員が恒常的に不足しています。そのため、大規模災害時には測量・設計・災害査定といった専門的業務に対応できない状況が発生しました。長期雇用の専門職員の確保や、大規模災害を経験した自治体OBなどへの支援要請が必要とされています。
3.平常時からの備え(BCP・事前復興計画)
☆受援計画の抜本的な見直し
今回の経験に基づき、応援職員の待機場所や備品、車両等の受入体制を事前に計画に盛り込むなど、受援計画を根本的に見直す必要があります。
☆事前復興計画の策定
大規模災害を想定した「事前復興計画」がなかったため、今回の計画策定に多大な時間と労力を費やすこととなりました。将来的に本復興計画を改訂した事前復興計画の策定が必須とされています。
☆福祉避難所の連携強化
協定を結んだ福祉避難所が被災により開設困難となりました。そのため、町外・県外施設との協定締結や、障害者・乳幼児の避難者用として保育園などとの事前協定を検討する必要があります。
板橋区の震災対策にもたくさんの視点をいただく
志賀町の「令和6年能登半島地震対応検証報告書」は、震度7という未曽有の危機に直面した小規模自治体が、外部支援に頼りながらも、行政内部の課題と真摯に向き合ってきた姿を率直に示しています。
復興への道のりは長く、町長は「時間を要します」と述べておられます。この報告書に込められた教訓は、行政の機能維持(BCP)の重要性だけでなく、平時から住民との関係を築き、災害時に備えた専門人材やインフラの強靭化を進めることの重要性を強く訴えかけています。
「かえる、志賀町」の実現に向けて、行政、町民、団体、企業が一丸となって協力・連携することが不可欠です。
復興計画に掲げられた「創造的復興」とは、壊れた時計をただ修理するのではなく、最新の技術とデザインを取り入れて、より丈夫で高性能な新しい時計を作り直す作業に似ています。過去の教訓を活かし、災害に強く、未来に躍進する志賀町を築くための大切な設計図なのだと強く感じました。
板橋区では地域防災計画を策定したばかりですが、たくさんの視座をいただいたと思います。技術系職員の確保、受援計画の見直しや福祉避難所の整備などは、板橋区でも喫緊の課題であると認識を改めて考えさせられました。
最後になりますが、志賀町の復興への歩みがこれからも続いていくことを心から願っています。
志賀町にある仮設の避難住宅
志賀町の職員から説明を受ける
震災廃棄物はまだまだ残る
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Think globally Act locally
〜小さなことの積み重ねが必ず大きな成果に繋がる
板橋区議会議員 田中やすのり
https://www.tanaka-yasunori.jp/index.html
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【子育て中のママパパへ】
「あなたの子育てを応援します!」
https://www.youtube.com/watch?v=ePeN_wTQ7XI&t=20s
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「私は、走り続けます!」
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板橋区議会議員田中やすのり_記事:【板橋区議会・自民党】震度7が襲った志賀町に赴く、これからの復興を願う20251112
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